「西域の戦乱流民と俀および倭国の国家イノベ―ション」
   ―五胡十六国動乱と西域移住民(「隋書」の秦王国)―

佐藤彰著 2016年4月10日発行 208ページ 価格(税込)1500円 


本書(はじめに)から

 シリア戦乱によって何百万もの流民が周辺諸国、また荒海に抗して遠くヨーロッパ諸国に押し寄せてきているのを目の当たりにしている。それは諸民族の統一を破壊したときの悲惨であろう。またそれは歴史の悲惨な再帰とでもいおうか。  中国古代の五胡十六国時代の大戦乱、三韓の戦乱と倭と高句麗との戦争、それらの倭への流民はあまり検討されていないようにみえる。特に五胡十六国時代のそれと、そのインパクトは全く検討されていないようにみえる。たとえば、敦煌の羽人(西魏)みたような豊後竹田の羽人石像は遠く忘却の彼方にあるようにみえる(Ⅲ.の「(3) 酒楽と酒公」参照)。
 隋の時代、俀国訪問途中の隋使節団は、その風俗が「華夏」に似ている国が倭にあるとして驚いている(「至秦王国、其人同於華夏、以為夷洲疑不能明也」)。五胡十六国の大戦乱や倭も介入した三韓の戦乱が倭国に何らの影響をあたえなかったと考えることは出来ない。いかな過酷な航海といえども海は建康(南京)から人々を運ぶ。それが隋書の「秦王国」であろうか。


本書(あとがき)から

 本書は先の著書「阿蘇外輪山と聖徳」で残していた俀や倭国および日本の歴史の課題や謎の解明である。本書は、隋書俀国伝の「至秦王国、其人同於華夏、以為夷洲疑不能明也」の「秦王国」は、中国の五胡十六国時代の大動乱によって中国本土から逃れた人々が形成したことを証明した。また「秦王国」が倭国の国家制度、文化革新に少なからず影響を与えたこと、したがって当然ながら、後の古代日本の文化、制度にも影響を与えたことを示した。  タイトルは「西域の戦乱流民と俀および倭国の国家イノベ―ション」(五胡十六国動乱と西域移住民)とした。
 

目 次

はじめに ‐‐‐‐‐‐三

Ⅰ.倭の都

‐‐一五
[1]「博多湾岸に都はなかったのか」  一六
(1)[都督と倭王武]  一六
[2]未斯欣(美海)倭脱出事件と都督府  一九
(人質未斯欣(美海)倭脱出事件と李鐘恒氏の「倭首都博多湾近隣」説の検討) 一九
(三国史記、三国遺事および日本書紀それぞれの違い)  二二
① 三国史記」の堤上による救出劇  二二
② 「三国遺事」  二二
 ③日本書紀  二三
[3]未斯欣(美海)倭脱出事件と広開土王碑  二三
 〈広開土王碑と朝鮮史書および日本書紀〉  二四
 〈人質事件と広開土王碑による背景説明〉  二五
 〈朝鮮史書と日本書紀との一致と差異〉  二六
[4]事件の総合的判断  二七
[5]「帰化人と朝津間と都督府」  三〇

Ⅱ.ヒマラヤの麓からきた河童族と「秦王国」

‐‐三五
[1]「中国大陸奥地のヒマラヤの麓からきた」河童族  三六
〈1〉秦  三七
(1)秦は大分県では「はだ」ではなく、「シン」  三七
(2)「魏略」「有月氏餘種荵罽羌、白馬羌、黄牛羌」  三八
 ①羌族  三八
②月氏国→大月氏、小月氏  三九
〈2〉日田を基点にする「秦」の分布  四〇
[2]秦「シン」と秦「はた」、「はだ」との区別の由来探求  四四
(弓月王来朝年、応神天皇十四年)  四四
(弓月王の出自)  四六
(弓月王の倭移住前の来歴)  五〇
(弓月君一族と俘虜の「四邑の漢人」の倭での移住地)  五二

Ⅲ.西域人と「隋書の秦王国」の成り立ち

‐‐五五
[1]「後」秦と秦王国  五七
(1)弓月君は後秦の人ではない  五七
(2)南安赤亭の羌族  五八
(3)酒楽と酒公  六三
(4)「酒泉郡楽官県」  六八
[2]秦の(シン)と辰(または秦)の(ハダ)  七〇
(1)弓月系(辰系)とハダ  七一
(2)「後」秦からの移民族  七四

Ⅳ.欽明と「阿毎多利思比孤」の時代と秦人

‐‐七七
[1]欽明の朝倉橘広庭宮と秦大蔵  七八
(1)秦大津父=大月氏=ソグド人  七九
(2)秦大津父の貿易政策と欽明の「牟久原殿」(「他国の神(仏像)」の宮) 八二
(磯城嶋遷都と「牟久原殿」)  八二
(秦王国の深草から山城の深草への射影と伊奈利社)  八五
(俀の支配地域での戸籍の形成)  八九
[2]「阿毎多利思比孤」の近畿支配と秦川勝  九二
(河内県の部曲と三嶋)  九四
(「ハタのウズキ」と蜂岡寺)  九五
(帰化人の分裂)  九六

Ⅴ.天智の筑紫都督と秦系の分裂

‐‐一〇一
(1)天智への権力の移行と大津遷都  一〇二
(2)天智の筑紫支配と松尾大社  一〇三
 (松尾社と市杵島神)  一〇三
 (酒楽神社、大辟神社、大酒神社)  一〇五
 (日下部と弟日姫子)  一〇七
 (太秦の牛祭りと隋書の眼精)  一〇八

Ⅵ. 邪馬台国と俀の姫氏

‐一一三
[1]姫氏と大夫  一一四
(1)阿蘇産山の井氏と周朝的虞国、虞国的大夫  一一四
(2)「李白の詩 峨眉山月歌」と五斗米道  一一六
[2]俀および倭国の国家再革新  一一七
(1)豊前、豊後、筑前および美濃戸籍と五胡十六国および東晋  一一七
 (美濃、県主族長安の戸籍)  一一九
 (大宝律令以前の西域戸籍の痕跡とその継承)  一二四
 (白鳳年号と俀国の凋落)  一二六
 (天武、長屋親王と美濃との特殊な関係)  一二九
 (大宝二年・702年の紙戸籍がなぜ残存したか)  一三一

Ⅶ.倭国での銀銭の流通と鋳貨―西域の金属技術と銀の銭

‐‐一三三
[1]銀銭  一三四
(1)「詔曰 自今以後 必用銅銭 莫用銀銭」  一三四
(2)日田の東寺ダンワラ古墳と「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」  一三五
[2]銀銭の流通と銅銭  一三八
(1)飛鳥池鋳造所建設年  一三八
(2)宇佐家の「土銭さま」  一四〇
(3)エンブレム「七星」  一四一
(4)太宰府官僚との鋳造権争いと奈良朝の豊後、日向への侵攻  一四二

Ⅷ.渡来系の倭国への文化とイデオロギー的影響‐‐一四九

(俀国への五斗米道の重来と新教・仏教の伝播)  一五〇
(五斗米道の重来)  一五〇
(新教・仏教の伝播と民間普及)  一五一
(日田東寺ダンワラ古墳の被葬者)  一五四

Ⅸ.高皇産霊尊(高魂命)―大行事八幡と最後の年号・大化‐一五七

[1]大行事八幡と俀最後年号・大化  一五八
(1)「高皇産霊尊(高魂命)」  一五八
(2)俀国の最後の年号・大化(年代歴)  一六〇
(3)飛鳥寺禅院の建造と豊国からの元興寺716年移転  一六六
[2]倭国および秦王国の残影文化  一六八
(1)天寿国繍帳の制作地  一六八
 ①月兎と紫草染  一六八
 ②製作者たちと依頼者・橘大郎女  一七〇
(2)歴史的事情  一七〇
(3)旄牛(ヤク)トーテムと[蘇莫者]  一七二

(付録)  一七五

「『阿蘇外輪山と聖徳』への読者の質問と著者からの返事」  一七六  1.真野・物部戦争  一七六
2.聖徳 一七七 ①死亡年月 一七七 ②聖徳諡号 一七七 ③皇帝「位」の法皇寺 一七八
 3.法興=法皇年号  一七八
4.「百済恵宗法師」=百済人・蓮城法師  一八一
(「西域の戦乱流民と俀および倭国の国家イノベ―ション」あとがき)‐‐一八五

参考および引用文献‐‐二〇一


更新日 2021年2月10日