隠された経済的原理の進行
(経済学の哲学的、数学的展開)
高度な累進課税による教育の無償化と高度な医療・社会福祉制度について述べた項の紹介
1.ケインズ主義から自然律喪失のフリードマン経済学(底のない非均衡経済)へ
ケインズの提起したアイデアと概念がなければ、経済学における思考発展の糸口さえ、我々にはなかっただろう。人々は労働力の再生産へのシンパシーをケインズのそこに読み取った人も多かったであろう。そこにケインズ経済学への多くの人々の共感と親近感がある。ケインズは、人間の再生産費、特に勤労者の再生産費こそが、経験知としての自然律であり、資本家と労働者とが相互に前提としている社会では、分配の極度の不均衡は社会を崩壊させることを知り抜いていた
。
しかしながら、ケインズの反循環的経済の試みは、初期には「成功」するように見えても諸矛盾の累積によって経済は行き詰る。
ケインズ主義にとってかわったフリードマン哲学と経済学には、資本主義の境界条件(定常条件)である福祉、医療を含めた労働者の再生産条件の保証が自然律としてない。資本主義には景気循環があり、それは定常的な運動である。労働力再生産費という自然率という底が取り除かれると経済は非平衡運動となり、あらゆるところで不均衡が拡大する。それは底のない非均衡状態への移行、つまり貧富の無限の拡大による資本主義崩壊の哲学である。
(注)資本蓄積の進行につれて利潤率が傾向的に低下する。利潤率の傾向的低下はそれ自身、非平衡の暴流への消極的制限である。しかし、非平衡への消極的制限を信用は突破する。もちろん底のない非平衡でも部分的に定常状態は存在する。しかし、景気循環はスケーリングが低位なものに循環ごとに推移する。
2.イノベーションと教育の機会均等(無償化)
① 資本主義の一般法則である資本の技術的構成の高度化は、首切りの可能性の増大ではあるが、人間的進歩の面からみれば、労働時間の短縮の可能性としてある。現状では両者は二律背反である。
資本主義の原理は、労働力と貨幣資本との等価交換(等価売買・労働力再生産費)を通して、等価以上の価値増殖によって剰余の富の蓄積が進行する。労働力と貨幣資本との等価交換こそ、資本主義の原理である。労働力再生産費は自然律・率であり、いわば境界条件であり、これによって非平衡と平衡の繰り返し、景気循環という運動が保証されている。
労働者の再生産費との等価交換の原理(資本主義の根底の原理)、労働者の再生産費は、自然律(自然率)であり、社会全体の再生産の均衡条件はⅠ(v+m)=Ⅱcという均衡条件である。
労働力の再生産費に国家が担う福祉・医療を含めて労働力の再生産費(=労働力の価格)とするなら、その労働力の価格は等価交換されなければならないのが、資本主義の定常、均衡条件である。平均的には労働力の価格は可変資本と等価交換されなければならない。しかし、資本主義は利潤追求と利潤の実現によってしか雇用は維持されないので、利潤率の傾向的低下の歴史的趨勢では、人間の再生産という自然律と激しい軋轢に陥る。
② 資本主義を前に進めるのは、いつでもイノベーションである。新しい分業としてのイノベーションは、新投資と新しい市場である。利潤率の傾向的低下のもとでは、イノベーションによる超過利潤の獲得こそ死活的である。
(第2部第Ⅰ篇[4]<4>「ⅲ)大恐慌への移行の数学的考察―価値法則への反映的な株価の収束 Ⅳ)景気循環と株価の予測分布とエントロピー (Ⅴ)利潤率低下と利潤量の増大との相補性の破れと株価)」など参照)。
イノベーションこそ新しい市場であるが、そこでは首切りと労働時間短縮という文明の進歩の可能性という二律背反が存在している。
イノベーションには、また労働力の科学的技術的格差が富の無限の格差に従属して、一握りの富裕層の子弟の科学的技術的能力の独占と科学教育がうけられない教育弱者との教育の無限の格差があり、それが再生産され、膨大な教育弱者は失業者か低賃金労働者として、再生産が不可能となっている。つまり、教育は無償化されておらず、機会均等が失われている。それは、資本主義の崩壊の危機を急速に将来する。
政治は経済の集中的表現でもある。しかし、政治はやはり経済と区別があり、経済に反作用を与えることができる。幸いにも国家には、「国民の共同事務」という実務の遂行と「国民のため」という名文(あるいは建前)がある。資本主義の不均衡と均衡との相互転化の調整可能な政治能力こそ、資本主義経済を保つことが出来る。
国家には税徴収権がある。それは私人にはない。ケインズ主義のいいところは、所得の再配分のための累進課税を提唱していることである。それは国民に疑似均衡を与え、経済の相対的安定を保つ可能性を与える。
高度な累進課税制度に移行するなら、まず第一に教育の無償化が実現でき、大学・先端技術教育の機会均等という民主主義が容易に実現できる。それはいつでもイノベーションの進展に対応させるためでもある。
第二に高度な累進課税制度によって医療、社会福祉制度を構築することである。
以上の高度な累進課税制度による制度設計は、資本の技術的構成の高度化に対応し、雇用と文明の進歩としての労働時間の短縮の可能性を現実的可能性に転化させることができる。労働力再生産費(自然律・率)という境界条件によって非平衡と平衡との相互転化運動を保証し、底なしの非平衡状態への転落を避けることができる。
それらは、労働力と貨幣資本との等価交換=資本主義の原理を保証することである。
それは、資本家と労働者とが相互に前提としている資本主義社会での、分配の極度の不均衡による資本主義社会の崩壊を妨げることができる。
(注)戦後、累進課税制度とその配分のもとでの社会保障制度という租税政策による「平等化」政策ともあいまって「雇用-失業」「健康」「老後」などの労働者再生産の条件が新たな展開をみせるようになった。しかし、現在ではそれに逆行する事態が急速に進んでいる。とくに労働力の再生産と等価交換の資本主義的原則を維持するための教育の機会均等が失われている。義務、中等教育だけでなく、高等教育の無償化こそ、機会均等であり、資本主義の等価交換を保証する。
戦後のアメリカの累進課税の高さが戦後の一時期のアメリカの繁栄と安定を支えた。
国立銀行は国家の共同事務の機能と信用銀行機能とが結合したものであるが、現代では変質している。投機家の利益団体に堕している。
消費税などは自立的需要増加に根本的に反する。紙幣乱発による資本供与とインフレーションも同様に自立的需要増加に根本的に反する。それは貧富の未曾有の拡大と内部からの経済崩壊にいたる紙幣の屍の累積である。