隠された経済的原理の進行
(経済学の哲学的、数学的展開)



国債過剰と銀行危機

現在、世界でリーマンショックの補修としてのAT1債と通貨との同値関係が破れ無価値となったり、いくつかの銀行が倒産したりしている。この間の数年来に及ぶ膨大な国債発行とそれに伴う膨大な紙幣発行によるインフレーションに抗しての最近の一連の利上げによってそれらの事態がもたらされたものである。 膨大な国債過剰と金利上昇は当然にも国債下落をもたらした。国債を資産として抱えている銀行は当然にも倒産した。今回の一連の利上げによっても総合物価上昇率を引くと政策金利はマイナス金利のままであり、いかに国債増発と紙幣増発が天文学的であったかを示している。本来、利子の源泉は産業利潤が源泉であり、国債の利回りというわたしの言う利子の相対的側面は、現在崩落しかかっている。
 ここに国債や金利について述べた本書の箇所のいくつかを紹介する。


本書第2部第Ⅰ編[1]の (2)債券価格と利回りとの矛盾運動 :P169

 1 流動性選好と債券
 現金は債券より高い流動性を持つという。現金は、消費せずに保有(蓄蔵;タンス預金、銀行超低利貯蓄)で利子はつかない。したがって、現金と債券との相互転化の矛盾が経済事象となる。
 ⅰ) 債券の値上がり(利子率の下落)を予想し、現金を手放して債券を購入、逆に債券の値下がり(利子率の上昇)を予想し、債券を売却して現金を保有しようとするとが存在する。売りと買いその拮抗するところに債券の価格が決まり、したがって利回りが決定し、利子率は絶え間ない伸縮を限定的に繰り返す。こうして現金で保有するか、現金を手放して債券を購入するかの、予想にもとづく選択が迫る。
 ケインズは、利子率とは貨幣の流動性を人々が手放すために必要な利子の水準のことであるという。このように考えると、流動性とは、貨幣の交換可能性という使用価値の価格のことである。貨幣が金でも、紙幣でも当然ながらそれらの交換比率の変動と交換可能性そのものが問題となる。
 貨幣所持者には、貨幣(金)の諸機能のうち、現交換価値そのものは同一にもかかわらず、貨幣の諸使用価値のうち、資本および擬制資本の利潤や利子に転化しうる可能性ある使用価値を選ぶか、貨幣の退蔵(価値の保存のみ)や生活消費手段購買機能などの価値を増殖しない使用価値を選択するかという選択の問題がある。
「流動性の選好」とは、流通手段、価値退蔵等の当面は価値を増殖しない使用価値を主語にして定義された言葉である。投機という言葉をつかえば、流動性選好の裏面の言葉は、投機性をもふくめたものであろう。利子が上がれば、退蔵には機会費用、逸失利益が高まるという。
 債券及び利子と株との相互関係は、ポートフォリオ理論やB&S方程式の構成、解「B&Sモデル」に利便されている。利潤からの株の配当(利潤の分割)>債券形態(αという約定利子)のような場合、債券を手放さず、債券形態(約定利子)で蓄蔵すると、機会費用、逸失利益が高まる(注)。その時、債券B→株S↑への移動、逆の時は逆である。相関係数でみると、ρS(χ)、 B(χ)<0である。利回りと株価でも関係は同じである。
債券市場では、債券価格の上下変動に反作用する債券の利回り下上変動とそれに対立する約定利子との矛盾がある。また債券供給過剰であれば価格は下がる。
 ケインズの流動性という言葉を使えば、利子とは、手放した流動性(=一般等価形態という機能→生産諸要素の購買手段)は、商品交換によるG→Pr(生産)→G+g(利潤)の始めのGに投資寄与分を(+)gから分割し、株や預金銀行等から配当・利子(利潤の一部)を受領することである。だが、遊休貨幣が膨大に存在するところでは、利潤の「一部」は債券等の売買による利回りという現象形態をとる。ケインズがいう貨幣の持つ流動性という効用を手放す代償が利子とは、このような利潤の「一部」がとる現象形態のことである。
 利潤獲得、超過利潤では、競争は時間の相対性という特質をもつ。利潤からの分轄である利子rは、時間tを変数としてもつが、利子は絶対時間であり、企業の債務(負う利子)は企業の成長ともなり、逆に破滅の要因ともなる。また利潤は事業の確率でもあり、債券と貨幣との同値性は、破れる可能性、確率でもある。事業の時間の相対性は利子の絶対時間との矛盾とその展開である。しかもそれは経済循環という歴史性に依存し、歴史の発展段階は非定常性を属性として持つようになっている。

(注)機会費用(opportunity cost) 費用は値段というだけでなく、ある選択をしたとき、別の選択をした時に得られる便益


(3)利潤率低下の法則下の債権と紙幣供給との矛盾運動
① 国民所得が増加すると貨幣需要も増大するから、取引需要は、普通は国民所得の増加関数であろうという。
 しかし、逆に国民所得が減少すると活動貨幣的M1なのか投機的需要M2的なのか問わずに、一般的には外部から貨幣供給が増加させられるようである(米国の大恐慌時のように逆もある)。いずれにしてもMは、M1と投機的需要M2に分岐しながらも、取引需要の減少によって投機的需要M2が相対的に増大する。
 ② 発券銀行の資金供給と「利子率の↓と債券の価格↑」との相補性の破れ
 A(貨幣供給量大→貨幣利子率低下→債券購入増大)→B(債券過剰による価格下落)・・債券購入に回らない・・・
 C・利子率上昇・・→D・発券銀行からの外部の資金供給→利子率低下(債券価格上昇)  「債券の価格」の裏面は「利子率」であり、その両側面の同一性(内的対立)は「債券の価格↓↑」と「利子率の↑↓」との逆方向の外的対立となって、相互に転化しながら不均衡が均衡を求めて、また均衡が不均衡となり、不均衡と均衡との絶対的な運動を展開する。不均衡が絶対的であり、均衡は一時的、相対的である。こうした相互転化の矛盾、つまり「債券価格↓」には「利子率↑」、あるいは逆の「債券価格↑」と「利子率↓」との相補性は破れないという保証はあるのだろうか。
 「債券の価格」と「利回り」という内面は、「債券の価格↓↑」と「利回り↑↓」との外面的対立となって運動する。有価証券価格=平均利潤/平均利子でR↑/r↓⇒価格大、R↓/r↑⇒価格小であるが、R(利潤率)一定ならば、債券価格↑ならば表面利率r↓(逆つまりr↑ならば価格↓)である。購買増↑ならば⇒価格↑r↓となり、購買減↓⇒価格↓r↑であるが、擬制資本増大の下では価格低下と上昇のぶれは大きくなる。
 R一定のとき、価格↓ならばr↑(逆つまりr↓ならば価格↑)。
 表面利率が↓ならば、利率を求める債券買いも次第に低迷していく。R利潤率低下の下では、約定利子はもともと低い。各債券間(国々間でも)の金利スプリット、金利差がなくなり、裁定(鞘取り)が困難になり、「不安定国家」の高利回りの債券へのリスク投資などが増え、リスク商品となる。しかし、擬制資本と貨幣との同値性の根本は、市場での売買であり、実体経済の矛盾の発展によって、米国の住宅建設と流通を担っていた住宅ローン担保証券の貨幣との同値性の破れは金融恐慌を欧米にもたらした。また国家破産になれば、国債などは無価値となる。擬制資本の不確実性の増大とは、擬制資本と貨幣との同値性の破れである。
 また利潤率低下傾向の時代、恐慌や国際関係の変化や戦争という外的作用によっても、「債券の価格」群と「利回り」群とは相互に独立し、離散し、「債券の価格↓」群と「利回り↓」群となり、債券Bの価格の暴落と利子率rの上昇の個別同時発現を経過しながら、ついには無価値と為る。この時、Bとrの相関係数はρ=0となり、無相関となり、Bとrとの対称性は破れる。
 「債券の価格↓」と「利子率の↓」というような裏面対称性の破れは、「利潤率低下と利潤量の減少」(利潤率低下と利潤量の増大という相補性の破れ)の時代の避けられない金融市場の極限現象での相補性の破れである。

(注)戦時大量国債は、預金封鎖+日銀の紙幣大増刷によるハイパーインフレによって「無価値」となった。最近では、ギリシャ国債の暴落があり、EUの分裂の様相などは不気味な情勢である。


③ 資金が債券購入に回らないとき市場利子率は下限があるといい、それ以上、低下しないという。
 現在、利子率は0近傍である。「流動性の罠」は突破されたのか。
 利子率が通貨の需要・供給から決定されるならば、また利子率が貨幣需要関数と供給関数との交点であるならば、発券銀行からの外部の資金供給があれば、紙幣利子率は低下する。
 しかし、上の②のA、B、Cの過程や結果は、必ずしも成立しない。上のB→Cも必ずしも成立しない。株の配当は生産からの利潤の一部であり、債券の約定利子もそうである。債券の利回りと約定利子は主要となったり、副次的なものになったり、主要と副次が相互に入れ替わる。
 利子率が供給関数によって引っ張られるといっても所詮、利潤率に従属している。利潤率はもともと低下しており、しかも過剰生産恐慌やそれに伴う金融恐慌は、上のA、B、Cの過程の中断、停滞を伴うものである。つまり実体経済と擬制資本の矛盾の発展は、擬制資本と貨幣との同値性の破れを伴う。
問題は利潤率であるが、利潤率が下がれば、貨幣需要関数と供給関数との交点も移動するが結局、利子率は低下する。債券の値上がり(利子率の下落)と 債券の値下がり(利子率の上昇)との不均衡と均衡との絶対的な運動は、産業循環、利潤率低下の法則の絶対的法則の前には、債権過剰となって「債券の価格↓↑」と「利子率の↑↓」との逆方向の外的対立運動を分裂、中断させ、破綻させる。債券の価格の暴落と利子率の超低落の同時発現である。相補性の破れである。

[2]利子率の絶対的基礎(源泉)と相対的側面―利子率の相対的側面の崩壊と絶対的基礎(源泉) :P176

[2]利子率の絶対的基礎(源泉)と相対的側面―利子率の相対的側面の崩壊と絶対的基礎(源泉)
(1)利潤率の低下とリーマン・ショック
ケインズの流動性選好論の利子論とは、現金と債券、有価証券との売買による相互転化、つまり需要供給による均衡(「予想」を媒介とする価格調整)による利子論である。債券市場での債券価格の上下変動に反対方向に作用する債券の利回りの下上変動に対応する利子率変動論である。それを利子率の相対的側面というなら、利子率の絶対的側面と基礎とは生産過程の利潤からの分割である。
ケインズの利子論は、利潤率が傾向的に低下している先進資本主義国のようなところで、過剰な貨幣が資産保全や資産増殖のために移動を繰り返すような債権利回りのことである。この利子論は、生産過程を除外ないしは無視した、現金(流動性)の運動G→金融商品→G±δm(利子)である。
当然ながら過剰な資金が存在し、投機にむかう。貨幣利子率は、市場内部の(債券購入増大→利子率低下→・・・)に、外部発券当局からの大量の資金供給を含めた金融市場の需給関係によって決まるという。しかし、過剰な資金が債券購入に回らないとき、債券の売買益の相対的減少でもあり、利子益も相対的減少である。ケインズは、利子率は通貨の需要供給から決定されるとしたが、貨幣利子率にしても究極的には産業循環(景気循環)に規定されるものである。さらに歴史的かつ本質的にいうと、利子率の絶対的基礎とは生産過程の利潤からの分割であるから、利潤率の低下と利潤増という対関係(相補性)が破れている世界では、利子率(↓↑)と債権価格(↑↓)との相補性もいずれ破れる。
利潤率低下が一般的傾向となるとき、利子率を決定するという現金と債券との売買による相互転化との不均衡と均衡との絶対的な矛盾は、金融恐慌、金融事件という激動を伴いながら次第に段階的に停止する。膨大な遊休貨幣、暴落した紙幣の屍は金融運動を金融恐慌、金融事件や金融動乱、戦争とともに停止する。
過剰生産とその後の沈滞のとき、生産過程と流通過程、資本および擬制資本市場の分裂は極限化し、遊休貨幣の熱狂が始まる。遊休貨幣は飛躍的に増大し、そして外部からの資金供給が拡大する時、生産資本の意志に無関係に運動し、資本市場の熱狂と沈滞が繰り返される。投機の拡大につれてバブルとなり、石油や不動産価格が急上下昇、投機と挫折の嵐が荒れ狂う。
利潤率の低下によって苦境に陥っていた金融業界に「根拠なきチャンス?」が到来した。不動産価格の急上昇のカーブの信仰と抵当の確保、そこで支払い能力のない貧困層を債務者とし、中間、富裕層を債権者とする商法をあみだした。それがプライムローン債券の世界的販売であった。住宅ローン専門金融機関やリーマンなどは支払い能力のない貧困層を利用し策定された債権=債券と保険CDSを世界的に販売展開した。それが、利潤率の低下を背景にした生産過程と流通過程、資本および擬制資本市場の分裂に由来する熱狂の商法によって引き起こされた金融破綻のリーマン・ショックである。それは、支払い能力のない貧困層と中間、富裕層、そして世界の金融を巻き込んだ。優秀な頭能集団のリーマンでも、利潤率の低下によって、それ(「根拠なきチャンス?」)以外、利潤追求が悲しいかな見つからなかったのである。リーマンが悪いのか、一握りの富裕層が悪いのか、家をもたない貧民層が悪いのか、家をもたせるといった政治家が悪いのか。
空前の規模まで拡大した有価証券や、また債券市場の利子率の均衡と不均衡との矛盾は、景気循環(とくに恐慌、不況)、利潤率低下の傾向的法則によって擬制資本市場は破綻に導かれる。それは資本が擬制資本という社会的形態をとっている以上、生産資本の破綻でもある(1929年の大恐慌は生産資本の過剰とその後の株式の大暴落から始まった)。


本書第2部第Ⅰ編[3]の <3>擬制資本3―国債(膨大な国債発行と天文学的通貨供給―利子率0近傍の世界) :P192

(1) 債券とは、約定された利子受領の権利であり、その利子の資本還元である。
 国家資金の需要の増大にともなう国債の大量発行がされている。とくに恐慌後および停滞時の投下先の見当たらない膨大な貨幣は、国債という方法で吸収される。国債の本質的な規定は税金の先取り請求権を担保とした利子つき証券であり、税金の先取り請求権の債券化である。消費税などの増税の必然化である。それによる一時的物価上昇は、資本家には一時的な利益の拡大でもあり、実質賃金の低下による労働分配率の低下であり、貧富の不均衡を齎す。
 恐慌、停滞時に国債という形で吸収された投下先の見当たらない膨大な貨幣(利子付き債権に変身した)は、恐慌、停滞時に再び非兌換紙幣の大量発行によって発券当局によって購買され、膨大な貨幣が市場に供出される。金利上下=国債下上のサイクルは継続する。
 債券市場には、利回り下上(利子率下上)と債券価格形成の上下との矛盾運動が存在する。債券の値上がり(利子率の下落)と 債券の値下がり(利子率の上昇)との均衡は一時的、相対的であり、不均衡が均衡を求めて、またその逆が絶対的な運動を展開する。しかし、債権の蓄積がある限界点を超過する時、債券市場は大暴落のポテンシャルが常在するようになる。つまり利子率は利潤率に対応しない状況が現出する。利潤率はもともと歴史的に低下しており、当然、利子率も恒常的に低下している。それに加えて、国債買い入れ=膨大な貨幣市場供出は利子率→0近傍に導いた。資金が債券購入に回らないとき、市場利子率は低下しない(下限がある)といい、それを「流動性の罠」という。しかし、「流動性の罠」は国債買い入れ=膨大な貨幣市場供出によって突破された(注1)。

注1)十八世紀半ばイギリスで施行された「3パーセント利付けのコンソル」は恒久税で担保され、税金から恒久的に支払われる資産として、信用リスクが希薄となり、蓄積継承される資産として、税金という血を吸い続ける最良の資産となった。それは重税を固定化した。  


(2) 資本ストックの進展による利潤率の低下と利潤量の増大との対応の破綻、すなわち利潤率と利潤量との相補関係の破れは、利子率からみれば、この相補関係の破れは深刻である(注)。それは利潤率の低下に利潤量の増大が補うという関係が破れたということであるからである。
 以上のような利潤率と利潤量との相補関係がくずれる極限の前後には、利潤率の低下に反作用する動因が強力に働く。国内的には、賃金の切り下げの常態化、対外貿易の強力な展開、対外的には、比較利潤率の高い諸国への資本投下(生産諸コスト低位の国への資本移転)などの反作用が働く。またケインズ政策や純貨幣論的救済論から大量の国債、債券発行が景気対策として行なわれる。
 このような利潤率と利潤量との相補関係の破れに対応しようとして、金利の下限定理すら突破したのが、紙幣増発による紙幣利子率0近傍である。利潤率と利子率の関係から利子率の低下は新生産投資に貢献しないにもかかわらず、倒錯した思考から紙幣増発による紙幣利子率0近傍をとったのである。
 金利に限ってみるなら、銀行の貨幣的基礎である預金と貸出との利鞘で稼ぐことが出来なくなる。金融機関は、国債売買によってしか利益が上がらない状況で、紙幣の量的緩和(=国債の中央銀行の購入)が累進的に拡大されると、国債の天文学的過剰によって、債券の値上がりと利子率の下落との矛盾運動は、不確定、動揺、撹乱となり、利子率マイナス平衡となって銀行の貨幣的基礎を破壊しつつある。国債価格はいずれにしても貨幣との同値関係において減少関数となりつつある。戦後の混乱期みたいに膨大な屍(暴落と無価値化の進行)となるかどうかはわからない。
 いずれにしても国債(=税金の先取り請求権の膨大な蓄積)による重税の累積の進行と国家財政信用の破綻、発券当局による国債購買による大量発行された非兌換紙幣の堆積、それらは貧富の未曾有の拡大をもたらす。その過程において、絶え間ない債券過剰や債券不良による国家信用危機、デフォルト、動乱、戦争の招来のとき、この循環過程は中断される。

(注)利子率0近傍の真の内因の思考実験を確認
 資本ストックの継続は、資本蓄積の二側面、利潤率の低下と利潤量の増大との対応、つまり利潤率と利潤量は相補関係による。しかし、その相補関係はある段階でくずれる。(k/L)資本労働比率(資本ストックk/労働者数L)の集約化は不変資本の増大のことであり、vを一定として、c+v→∞の極限ではm/(c+v)=p→0(利潤率)、したがって投資→0である。利潤量の増大が停止し、利潤率と利潤量との相補関係がくずれる。利子率も0近傍となる。



本書第2部第Ⅰ編[4]の(ⅳ)[ポートフォリオのG(t)の利得が(15-10式)のfによる利得と同じようにしたい。]という「B&S理論」の自己資金充足的「要請」について :P213

BS方程式にウィナー過程を利用する合理的理由はないことを明らかにした。さらにB&S理論では「偏差σが一定」などの仮定があるが、BS方程式を導く上での上記の自己資金充足的要請を検討してみよう。(以下、数式は[付録Ⅰ]<ランダムウォークと架作された「B&S方程式」の計算形式>を参照して下さい。)
 dG(t)=xtdS(t)+ytdB(t) (15-11式)というポートフォリオの瞬間的な利得の式は資金の追加と引き出しがないことを保証し、市場価値の変化のみでf(s、t)派生商品価格と一致させることができるという。そのような操作の結果、B&S・ 2階偏微分方程式∂f/∂t+(∂f/∂S)・rS + ½・(∂²f/∂S²)・σ²S²=rf (15-13)(A)が得られた。
 dG(t)=xtdS(t)+ytdB(t)は
 幾何ブラウン運動過程(対数正規分布に従う)S(t)によってdS(t)=μS(t)d+dS(t)dz に書き直して
 dG(t)=・・・=・・・=(xtμS+ ytrB)dt + xtσSdz (15-12)
 Sの価格とrBの価格の上下の確率をそれぞれP(S)とP(rB)とし、それらがともに存在する可能性は、P(S∩rB)=P(S)P(rB)の場合である。したがって、r→0の場合、P(S∩rB)の可能性は小さくなる。
 B&S、 2階偏微分方程式∂f/∂t+(∂f/∂S)・rS + ½・(∂²f/∂S²)・σ²S²=rf (15-13)(A)においてr→0つまり、r≒0とすると、
 (A)の右辺は0で、∂f/∂t + ½・(∂²f/∂S²)・σ²S²=0 で f(S、t)はそれこそ市場価値の変化のみのリスク商品となる。
 利潤率低下の時代r→0であるから、過剰な紙幣は株投機に走るから一時的には株↑となるが、それは当然にも株の暴落の可能性が高くなることでもあるから、金融恐慌の存在確率は高くなる。
 一般的にいえばP(S)とP(rB)はそれぞれ部分的量的、質的変化をしており、ポートフォリオのP(S∩rB)の共存形態、またP(S∩rB) ∩P(f(s、t))の共存形態もf(S、t)の激しい変動性のもとで破れる。B&S論のロジック、レトリックの危なさである。したがって、P(S∩rB)と派生商品f(s、t)とがともに存在可能であるのは、P(S∩rB) ∩P(f(s、t))= P(S∩rB) P(f(s、t))であり、仮にr→∞(急激な高騰)ならばそれは国債の破綻であるから、この確率論的形式的なものは常に不安定であり、部分的破綻や全面的に破れる可能性を内包している。ショールズの破産はまさにロシア国債にあった。
また利潤率低下傾向の時代、「債券の価格」群と「利回り」群とは相互に独立し、離散し、「債券の価格↓」群と「利回り↓」群となり、債券Bの価格の暴落と利子率rの上昇の個別同時発現を経過しながら、ついには無価値と為る。Bとrの相関係数はρ=0となり、無相関となり、Bとrとの対称性は破れる。この時、利子率r×B→0である。


本書第2部第Ⅰ編[5]のⅤ)利潤率低下と利潤量の増大との相補性の破れと株価 :P234

しかし、現在は利潤率低下と利潤量の増大との相補性が破れている段階である。古典的循環の時代ではない。
 ① 利潤率の歴史的傾向的低下の時代の特徴が株価、債権の上下運動にも反映する。それらは利潤率傾向的低下と、したがって利子率が低下し、そのような状況でも政策金利と紙幣増刷に依存する。しかも投機の限界効率もいずれ作用する。政策金利や紙幣増刷によって利潤率のゆらぎ↑↓や突出と陥没を繰り返そうとも、利潤率低下と利潤量の増大の相補性が破れている利潤率の歴史的傾向的低下の時代の特徴が株価、債権の上下運動に反映する。
② 先ほどⅲ)(3)からTωtとTWtとの密度変化率として、TWt=∫EKtdTωt なる可測関数のKtが存在し、それKtはTWとTωとの密度変化率であり
Ktを簡単にdTWt/dTωtと表記するならば、それは景気循環を表すとした。Ktは、年間ごとのマーシャルKや各局面を超えた景気循環を抽象化したものである。Ktは、現在の利潤率低下と利潤量の増大の相補性が破れている段階でも景気の流れを抽象化して示している。

(注)ⅲ)(3)の引用「写像TWtが写像Tωtに関して絶対連続(TWt<<Tωt)と仮定すると、測度としての関数Tωtと測度としてのTWtの間には、ラドン・ニコディムの定理によれば、TωtとTWtとの密度変化率として、TWt=∫EKtdTωt・・・ なる可測関数のKtが存在している。KtはTWとTωとの密度変化率である。
  Ktを簡単にdTWt/dTωtと表記するならば、それは景気循環を表す。」


②不変資本の累積によって、また競争による利潤率均等化によって利潤率は均一的に低下し、資本の増殖率の起爆力は低下している。利潤率は平均的に低下し、均等でそれが一定持続している状態とみることもできる。
 現在は利潤率低下と利潤量の増大との相補性が破れている段階、つまりΔW≒Δω状態である。
 利潤率傾向的低下から TWとTωとの密度変化率であるKtは≒低下的かつ一定であるから、Ktを利潤率に従属する関数としてみると、Rを利潤率として、Kt(R、t)と表すと、
 ∂Kt(R、t)/∂R→0また、∂Kt(R、t)/∂t→0で変化が乏しいとなる。先進国では、利潤の若干の揺れを伴いながらもΔW≒Δωでは商品価格の低迷が続き、利潤に関しては、超過利潤以外は変化をもたらさない。
 つまり利潤率低下と利潤量増大の相補性が敗れている時代、r→0で株が上昇して、それが金融商品以外に仮に生産量に寄与するとしても、それは、利潤率R↑と見込み、予感される部分のみ=超過利潤が見込まれる分野である。
 ΔW≒Δωの長期傾向のもとでは、古典的景気循環から変容し、特に2007年のリ―マン恐慌以降、鉱工業生産指数は振動数が多くなっており、振動数の過多とともに減衰していく様相を呈している。古典的循環とは明らかに違う。
 また逆イールド現象が頻繁に起こるようになっている。それは、株価下落の時の単なる一時的移動というばかりでなく、金利が、利潤率から本源的にきていることを直截的、赤裸々に提起してきているようである。
 利潤率低下の時代r→0であるから、過剰な紙幣は株投機に走るから一時的には株↑となるが、それは当然にも株の暴落の可能性が高くなることでもあるから、金融恐慌の存在確率は高くなる。

(注) 投機紙幣の流通の(+)加速度は、外部(中央銀行)からの作用の結果生じたものである。金と兌換停止以降の時代、各国通貨の交換価格が適正かどうかではなく、量的制限と反制限との政策の適合基準が不鮮明となり、アメリカでも、利子率がその下限以下の現在、投機的な通貨はその量的拡大につれて投機流通の加速度も強まり、マネタリーベースによる金融政策はそれ自身の制御の不確実性が増大する。
 (注)アメリカ・ドルの無制限の発行権によってトリレンマ(資本の移動、為替、独立金融政策などの相互制約)から自由と思われていたFRBもアメリカが世界市場に依存している以上、完全には自由ではなくなった。したがって、逆の、つまり(-)加速度も外部(中央銀行)の作用、つまり利上げしかないが、それでは膨大な累積債券は大暴落する。


先進資本主義国では、利潤率低下と利潤量増大との相補関係がやぶれているので、無限に供給されている膨大な紙幣は、最後的には投資、新投資の先がなく、中央銀行の国債群と当座の仮死状態の紙幣は、名実ともに死幣(紙幣)となる。
 R利潤率低下の下では、約定利子はもともと低い。R利潤率一定のとき、価格↓ならばr↑(逆つまりr↓ならば価格↑)の対称関係から、表面利率が↓ならば、利率を求める債券買いも次第に低迷していく。
 各債券間(国々間でも)の金利スプレッド、金利差がなくなり、裁定(鞘取り)が困難になり、「不安定国家」の債券へのリスク投資などが増える。
 擬制資本と貨幣との同値性の根本は、市場での売買であり、それは実体経済の矛盾の発展によって困難に陥る。例えば政治的事件の突発を契機に「債券の価格の暴落と表面利子率の上昇の同時発現」を経過して、裏面対称性(「債券価格↓」と「利子率↑」)は、「債券価格↓」と「利子率↓」という形で、破れる。このようにして裏面対称性は破れる。
 「債券価格↑↓」と「表面利子率↓↑」との裏面対称性の破れは、債券の価格の暴落と表面利子率の上昇の同時発現を経過して後、「債券価格↓」と「利子率↓」という傾向的状態に陥り、金融危機そのものが発現する。利潤率低下傾向の歴史的持続後の、避けられない金融市場の相補性の破れである。
 また利潤率低下傾向の時代、恐慌や国際関係の変化や戦争という外的作用によっても、「債券の価格」群と「利回り」群とは相互に独立し、離散し、債券Bの価格の暴落と利子率rの上昇の個別同時発現を経過しながら、「債券の価格↓」群と「利回り↓」群となり、ついには無価値と為る。
 この時、債券価格Bとrの相関係数はρ=0となり、無相関となり、Bとrとの対称性は破れる。
 「債券の価格↓」と「利子率↓」という現象、つまり裏面対称性の破れは、「利潤率低下と利潤量の減少」(利潤率低下と利潤量の増大という相補性の破れ)の時代の避けられない金融市場の極限現象での相補性の破れである。
 一般的にいえばP(S)とP(rB)はそれぞれ部分的量的、質的変化をしており、ポートフォリオのP(S∩rB)の共存形態も激しい変動性のもとで破れる。仮にr→∞(急激な高騰)ならばそれは国債の破綻であるから、この確率論的形式は常に不安定であり、部分的破綻や全面的に破れる可能性を内包している。
 近年、商品価格の低迷が継続、つまりΔW≒Δωで、Wとωとが接近していることは、生産が潜在的には過剰ということである。低成長の持続か、低成長状況の中での過剰生産の発現からの金融恐慌か、金融恐慌発現からの過剰生産恐慌発現か、その順序では、どちらかといえば、金融恐慌が先行の可能性の方が高い。


本書第2部第Ⅲ 編の[Ⅲ] アメリカ・ドルの支払い機能としての無制限の権能 :P299

[1] チープ・マネー(cheap money)の天文学的増加
(1)米国債、住宅ローン担保証券の過積
ドルと金との交換停止が宣言されたニクソン・ショックの時、金は超高騰し、貨幣はやはり貨幣商品、金でなければならないということを示した。しかし、信用は崩壊しなかった。
為替相場は各国通貨間の相対関係である。その相対性の中にある絶対的基準、絶対的尺度である貨幣商品・金は引き続きアメリカの突出した所有であった。外貨準備における金の極度に不均等な所有および生産の世界的な社会的組織化は、通商において金との兌換を必要としなかった。
こうして各国通貨は、国内的には不動の位置にあり、為替相場によって、ドルは信用基軸通貨として不動の位置にあるようにみえる。またドルの非兌換体制は、無制限の通貨発行権を獲得し、また中国、日本などの米財務証券の大量保有によって信用が支えられ、アメリカ・ドルは世界決済の機能を果たしている。アメリカは、現在、世界的支払い機能の権能を得て、アメリカの銀行、SWIFTを通じて世界経済に君臨し、またそれを政治の強力な道具にしている。
現在、世界資本主義は、先進国の「信用制度の巨大化」、それを支配しているアメリカの「信用制度の巨大化」にすっぽり呑み込まれている。ニクソン・ショック以降の変動相場制時代、それはかつてないアメリカ・ドルの垂れ流しの信用膨張時代である。
2008年金融危機は、住宅担保証券、CDSなどのあらゆる債券が貨幣との想定されている同値関係が破れ、世界的な銀行危機を招来したことである。FRBは、ドルの大量供給によって米国債の過積ばかりでなく、住宅担保証券も積み上げた。2008年金融危機の後遺症に悩んでいるのは、欧州の銀行ばかりでなく、発症元の米国でもある。
金兌換停止から商取引が紙幣のみになると、金利は、平均利潤率の法則のみに左右される。利潤率の極度の低下の時代、金利は0近傍である。通貨過剰は、国債過剰ということである。金利下限=流動性の罠は突破された。それは利潤率の低下と利潤増との相補性の崩れの現われが、金利ゼロ近傍の世界的国債大過剰であり、債権と株の大変動と暴騰、暴落の局面が進行する。

(2018年注)SWIFT(国際銀行間通信協会)、銀行間の国際的決済の通信網を運営。


(2) 国債価格上下=金利下上昇の相互関係の運動を通じて、また国債過剰によって国債価格が大暴落した時、国家信用は喪失する。
 金と兌換停止以降の時代、各国通貨の交換価格が適正かどうかではなく、量的制限と反制限との政策の適合基準が不鮮明となり、アメリカの通貨政策に各国が左右されている。そのアメリカでも、利子率がその下限以下の現在、投機的な通貨はその量的拡大につれて投機流通の加速度も強まり、マネタリーベースとマネーサプライによる金融政策はそれ自身の制御の不確実性が増大する。投機紙幣の流通の(+)加速度は、外部(中央銀行)からの作用の結果生じたものである。したがって、逆の、つまり(-)加速度も外部(中央銀行)の作用、つまり利上げしかないが、それでは膨大な累積債券は大暴落し、国家信用は失墜するであろう。しかし、また、アメリカ・ドルの無制限の発行権によってトリレンマ(資本の移動、為替、独立金融政策などの相互制約)から自由と思われていたアメリカも世界市場に依存している以上、完全には自由ではなくなった。
 「債券価格↑↓」と「表面利子率↓↑」との裏面対称性(相対関係)の破れは、株式暴落による債券買いへのシフトによる利回り↓の後、債券の価格の暴落と表面利子率の上昇の同時発現を経過して後、金融危機は発現する。利潤率低下傾向の歴史的持続後の、避けられない金融市場の相補性の破れである。デフォルトである。
 無限に供給されている膨大な紙幣、すなわち利潤率低下で投資、新投資の先がなく、中央銀行の国債群と当座の仮死状態の紙幣は、名実とも死幣(紙幣)であろう。
 このような破綻の時代、すなわち利潤率低下の時代には、それに反作用するものが強力に働く。国内的には、労賃の価値以下への引き下げ=賃金の切り下げの常態化と対外貿易と対外的資本投下の展開、それはグローバル化=国際的資本移動と競争、つまり「国際的平均利潤形成の歴史的段階」の中での超過利潤獲得競争の激化のことである。それにしたがって世界での政治、軍事的対立が激化しつつある。このような破綻の時代は、政治的事件の突発を契機に債券の価格の暴落と表面利子率の上昇の同時発現の後、「債券価格↓」群と「利子率↓」群という形で、裏面対称性が破れる。そのような事態は、国家の破綻であり、かつてのように戦争によってリセットするという悲惨なことになるのであろうか。
 アメリカは巨大な財政赤字、とくに中国、EU、日本等との貿易の巨大赤字によって、ドルによる世界支配の貨幣的基礎が揺らいでいる。アメリカは、貿易巨大赤字の解消なくして、今後、ドルによる世界支配の基礎が揺らぐであろう。将来の行く末は別として、AIIBやブリックス銀行は、世界金融の再編の現われである。
 アメリカは輸出の拡大によってしか、ドルによる世界支配の貨幣的基礎の補填が出来ないので、アメリカと中国、EU、日本との矛盾が激化するであろう。