本書は先人達の理論に敬意を払いながら批判的に検討したに過ぎないものである。 経済は歴史であり、因果も相関も相対的であり、絶対性がないように思われるかも知れない。さまざまな現象学とその中に含まれている論理には、仮象、誤謬が含まれており相対的であるが、しかし、その相対性の中には、絶対真理と論理が含まれているものである。そのような絶対性の蓄積が学の連鎖であろう。会社経営をどうするか、いつも悩む人々、儲けたい、損したくない人々、生活が苦しい人々、そして失業。山積だ。そして、膨大な格差と中間層の困難を解決出来なければ、戦争もありうると識者などがいう。これらは、すべては利潤率の傾向的低下によるグローバル展開と国内矛盾との激化と言う経済問題だ。
[Ⅰ] それでも変わる―経済行為と歴史的条件と未来
(1)批判的な継承
経済認識は、自然科学の発展と同様に後世から振り返ってみて、誤りであると見えるものも含めて、過去の理論の検討、検証を通じて批判継承したものである。それぞれの段階における経済現象の発現に対して正反両面の検討を通じて継承したものである。そこで有用性があるものは、相対的認識の中にある絶対性として、また手段として概念化されたものである。
このような批判的な継承からは、それらの歴史上の経済学者にいかなる意味においても尊敬を払うべきである。なぜならば正反の学ぶべきものがそこにあるからである。批判的な継承の結果、認識の飛躍があれば、新しい知見である。温故知新である。
1) 人間の経済行為には、主観的動因があるものである。しかし行為、試行の結果は、人間の主観的予想を超えて、我々が知りえなかった経済現象を提示してくる。そのようなものとして行為と結果は、我々の意志から離れていき、客観的運動として進行する。その中には明らかに法則と見られるものがあらわれる。そして経済法則として発見されていく。 経済行為は、個々の欲望の全体としての社会的欲望かつ社会的需要から始まり、供給は革新を伴うならば、新しい需要となり、両者は相互転化する。しかし、「自然定数」というものが、自然科学と同様にあるならば、経済のここでの掟は、太古以来、人間の生活手段のための必要労働と必要生産物であり、それが覆い隠されることがあったにしろ、掟=自然律(律、自然率といいかえてもよい)はそれ以外にありえない。必要労働以上の剰余労働生産物は、次の発展の必要条件である。その剰余労働生産物は、その時々の支配者によって占有、所有されたが、しかしいつでも必要労働が自然律であった。それは現在でも変わらない。必要生産物を得ることの出来ない事態が低賃金と失業と格差の拡大である。大衆が必要生産物を得られるかどうかは経済の基準であり、その基準が引き下げられ、不均衡が拡大する時、社会は動揺し崩壊する。つまりある社会集団の富の独占は、社会を滅亡に導く。このような自然律から来る人々の再生産の問題は、経済法則の根本にあるが、それらは眼前の問題にもかかわらず覆い隠され、あるいはそれに対処するに利害の相違が現れる。その相違は相互に自己を前提としている社会の崩壊に導きかねない。
2) 封建社会では、我々の対象的活動においてフリーではなかった。現在では、多くの人々は身一つになっている。新しい生産様式が産まれた。生産物の交換は、賃金労働制の下で発展した。賃金労働制は商品生産を一般化した。分業の発展による種々の職種は、人間労働力を商品として売る自由と対応した。しかしこの自由は、一方では極端な不均衡が生まれる要因の一つでもあった。そのような不均衡をもたらす自由を合理化したのが新自由主義のイデオロギーであった。それは人間社会の均衡を保つ自然律に基づく自由ではなかった。資本主義は人間の再生産ないしは拡大再生産のための仕組みであるが、同時に他面では他人の労働対象物の一定部分を取り上げる仕組みでもある。取りすぎると人間社会の均衡を保つ自然律を破壊し、社会を混乱させ、崩壊させることもあろう。
3) 資本主義の発展期には、利潤率の上昇につれて利潤量の増大(利潤率上昇と利潤量増大の対関係)がともなう。次に次第に利潤率の低下の時代に進む。しかし、ある段階までは、利潤率の低下には利潤量の増大が伴う。利潤率の低下と利潤量増大とのその対関係を、相補関係(あるいは関係対称性)と呼ぶなら、その相補性は必ず破れる。つまり、単なる利潤率の傾向的低下の段階から、「利潤率の低下と利潤量の増大との相補関係の破れ」の段階に移行する。現在の段階は、「利潤率の低下と利潤量の増大との相補関係の破れ」の段階に移行したというのが本質である。そこでは、先人が明らかにしたように、利潤率の歴史的低下によって、利潤率低下に反対作用としてさまざまな資本行為(労賃の引き下げ、資本の外国への移動等)がとられる。そこでは、利潤率低下と利潤量の無限小移行に反対作用するものとして、いわゆるグローバル化(低賃金諸国への資本移動や移民による超過利潤獲得競争)や貨幣利子率と紙幣利子率の二重性、つまり紙幣の膨張と信用膨張とが世界を丸呑みしているかのような不幸な現象が発生する。信用が実体経済をはるかに超えると、その結果、全てを呑み込む信用経済も破綻を繰り返し、戦争によってリセットしたのが、過去の教訓である。 現在でも政策金利→0、国債・債券の限りない購入による「量的緩和」が主要諸国でおこなわれている。
4) 異次元緩和と物価
「利潤率の低下と利潤量の増大との相補関係の破れ」のそのような諸関係の当面の問題として紙幣発行量の無規定的無限増量と物価の問題ついて
G―W―G`(=G+g)においてGは特定の利潤率Rによって(増殖された)資本G`(=G+g)に変化する。この関係から貨幣供給・増発量Mと利潤率Rとの相互作用RMを想定し物価Pは関数FによってF(RM)→PからP=F(RM)とおき、いわば「R-M」空間を設定し論じる。
Pを年平均物価とし、P=F(RM)とおくと(F:RM→P)。
利潤からの分割である利子率の現況(0近傍)から利潤率が著しく低下しているものとみなすことができ、RはR→0に近い定数と近似的に仮定することが出来る。
微分をとると、dP=dF(RM)=dRM+RdM
ここでR→0とするとdP=dF(RM)≒0+RdM≒0+0 つまり、Mに関わりなくdP=0 したがって P1 -P0=x→±0
また、利潤Rの分割としての金利をrRとし、国債の増減や紙幣量操作などに関係する政策金利をrcbとし、金利rR、また政策金利rcbのそれぞれ確率分布から、KL ダイバージェンスKL(rcb(x) || rR(x))が小さい、つまり両者が接近しているとすると、一方の政策金利は紙幣の任意性つまり人為的に一定限度操作したということである。
銀行と企業の相対的力関係に依存する金利を政策金利によって人為的に下げるのであるから、国家は経済的エネルギーを浪費したということである。経済的エネルギー浪費とは、必要流通量を超えた膨大な紙幣の発行等)であり、国債等の堆積(税金の先取り請求権の堆積)→重税、社会的大収奪社会への移行のことである。
この数年来の金融緩和で日銀は、異次元の通貨発行によって大量の国債、株等を購入してきた。それは物価上昇には現状では繋がらないが、為替変動に少なからぬ影響をあたえてきた。対ドル為替(2012年85円→2017年8月現在110円前後)である。
今回の数年来の恣意的な通貨発行益(シニョリッジ)による資本形成は、国債、REIT・債券、ETF・株購買による擬制資本超高騰形成であり、現実資本との矛盾の潜在的巨大拡大である。
シニョリッジは、リアルマネーではない、いわば仮想架作経済の現実形成でもある。もちろんシニョリッジによる擬制資本超高騰形成は、現実資本に局所的に反作用し、遺跡を残すかもしれない。
5)利潤率の低下に反作用する資本行為による利潤拡大
利潤率の歴史的低下によって、利潤率低下に反対作用として、利潤を上げるためのさまざまな資本行為(男女労賃の引き下げ、女子労働力の拡大、労働形態の変更、資本の外国への移動等)がとられる。「為替↓」による輸出拡大もその一つである。
停滞局面での実質賃金↓と共稼ぎ夫婦の増加(保育所の不足、男女賃金格差の拡大)と中間層の減少(=少子化)と有効求人倍率の急上昇↑となっている。当然にも「売ること無しの買い」=生産投資は海外以外では相対的に少なく、日銀の紙幣乱発もともなって内部留保2012年270兆程→2017年390兆余円となり、「物価も上がらず、賃金もあがらない」という始末になっている。
こういう時、生産投資、設備投資が相対的に減少しているのであるから、膨大な蓄蔵貨幣および過剰な紙幣供給、ゼロ金利状態では、また日銀が株の大量購入している状況では内外の行き場のない過剰資金が株に大量に流れ込み、株の上昇は限りがなくなる。国際的な利潤率の傾向的低下の時代の、商品価格と擬制資本との無連動状態は、いつまでか分からぬが長期に続く。そして破綻を伴いながらも次の段階が招来する。
6)現在は利潤率低下と利潤量の増大との相補性が破れている段階であり、古典的循環の時代ではない。そのような時代背景では、金融資本は債券などの擬制資本を増大させるとともに、さらに景気対策のために政策金利とも関係する国債や紙幣の天文学的蓄積および累積債務が進行する。現在、世界の債務は247兆2000億ドルである。擬制資本の擬制化の加重化と膨大発行によって、利潤率低下の現実資本の運動との背離が拡大し、擬制資本の架空化が進行し、破綻の可能性が増大する。
利潤率低下と利潤量の増大との相補性が破れている段階、したがって利潤率傾向的低下から先進国では、利潤の若干の揺れを伴いながらも価格・ΔW≒Δω・価値では商品価格の低迷が続き、利潤に関しては、超過利潤以外は変化をもたらさない。
超過利潤(発明とその応用と商品化、技術革新また低賃金国での資本投下)、利子率、為替、貿易戦争、国家間の対立(戦争など)、階級矛盾等の展開によって、株価は主要な上下の影響をうけることとなる。このような段階では、個別株価にとっても国全体の株価にとっても最重要は超過利潤である。
世界の債務は247兆2000億ドルという世界でも、最も決定的なものは超過利潤の獲得と拡大である。発明の応用と商品化、最先端技術の開発と実用化である。それは新しい社会的分業(産業革命)であり、新しい市場である。それらを巡って激しい争いが進行中である。以上。